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ブラインド・ガール・サーフ・クラブのモットーは70年代のアメリカのコメディアン、グルーチョ・マルクスの一節から始まる。

「俺をメンバーにしたがるクラブのメンバーには俺は絶対になりたくないんだ」

芸術家でもあり映画監督としても有名なジュリアン・シュナーベルとサーフ業界の生きる歴史とも言えるハービー・フレッチャーとの40年以上に渡る友情の象徴がブラインド・ガール・サーフ・クラブである。

そもそも、ジュリアン・シュナーベルがサーフィンをすること自体、私には驚きであるのだが、彼とハービー・フレッチャー、そしてブラインド・ガール・サーフ・クラブのメンバーたちがサーフィンをメロウに愉しむ動画をみていただきたい。

ブラインド・ガール・サーフ・クラブはジュリアンとハービーの長きに渡る冒険の歴史、何度となく繰り返されたサーフセッション、そして世代や民族を超えた付き合いと友情を下地として出来上がったアートとサーフカルチャーの融合である。
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歴史を遡ること1967年イースターの頃、ハービーが19歳、ジュリアンが16歳の時にテキサスのパドリー・アイランドで開催されたサーフコンテストでの出会いが二人の友情の始まりであった。

初めての出会いから50年近くが経過しているが、現在、果たして彼らが成熟した大人になったかは定かではない。しかし間違いなく彼らは注目に値する人生を辿っている。

ハービー・フレッチャー*はレジェンドとしてサーフィンにおける数多の事柄のパイオニアとして、その名を知られている。
*about Herbie Fletcher
http://www.nakisurf.com/blog/naki/archives/42772

今日に於いてもベストギアブランドでもあるアストロデッキの創設者でもあり開発者でもある。

デッキパッドの発明はサーファー達の技術を飛躍的に躍進させ、近代サーフィンの技術への多大な貢献をしている。今では見慣れた光景だが、巨大な波にジェットスキーで初めてトウインサーフを試みたのもハービーであり、写真家としてフィルムメーカーとしても才能と情熱を持つ人物でもある。

彼がリリースした数多のサーフムービーは、往年のサーフファンにはお馴染みのウェーブウォリアーズのロゴを冠して90年代を斡旋した。そして個人所有するサーフ史のアーカイブは幅広く、50年以上のサーフ史を網羅している。

もしサーフィン界で一人だけサーフ史研究者を定義づけるのであればそれは間違いなくハービーであろう。

ハービーはサーフィン界のゴッドファーザーでもあり、彼の著名な二人の息子でもあるクリスチャンとネイザンの父だけと片付けることはできない。そして若きサーフースターのジョンジョン・フローレンスや若くしてこの世を去ったレジェンドサーファー・アンディ、そして弟であるビッグウェーブサーファーのブルースのアイロンズ兄弟もハービー、そしてフレッチャー家の派生的な家族と言えるであろう。

ハービーの話については数え上げるときりが無いが、芸術家としての才能も特筆に価する。近年ハワイとニューヨークにて開催された彼の個展*ウレックタングンルズ(壊れた残骸達)。

Wrecktangles by Herbie Fletcher,
Wrecktangles by Herbie Fletcher,

その作品の元なる素材の全ては、オアフ島パイプラインで打ち砕かれ壊れたサーフボードを重ね合て構成された現代彫刻である。また作品に使用された全ての板はハービーの友人達でもある一流のプロとローカルサーファー達からのものである。
about Wrecktangles
https://www.rvca.com/b/post/herbie-fletcher-x-rvca-x-hole-nyc

ジュリアン・シュナーベルのアーティストとしての原点は16歳の時、テキサスのブラウンズビルにて「黒人参」の言葉をハンドメイドのサーフ ボートにペイントした時から始まる。ジュリアン・シュナーベルと言えば世界的にも画家として、彫刻家として、そしてアカデミー賞に選出された映画監督としてその名を馳せている。

1979年、ジュリアンは作品名 「剣を持った青いヌード」にて割れた陶器をキャンバスに貼り付けて、そこに絵を表現するという新しい手法で一躍アート界から注目を浴びることとなる。2001年にはシリーズ作品「目のない少女」をスタートさせた。 そのシリーズからの作品がブラインド・ガール・サーフ・クラブの象徴といえる少女の目を隠したロゴとなっている。

ジュリアンの作品は世界中の美術館や画廊で展示されているが、映画監督としての彼の功績も忘れてはならない。2007年には「潜水服は蝶の夢を見る」でカンヌ国際映画祭にて監督賞を受賞。そして同作品にてゴールデングローブでも監督賞を受賞する。

この作品は同年2つの監督賞以外にも同じゴールデングローブで外国語映画賞を獲得、アカデミー賞にも4部門ノミネートされジュリアンの近年を代表する作品となる。

画家であることをルーツとするジュリアンは今でも毎日作品を創りつづける。そしてジュリアンは熱狂的なサーファーであり、住居もニューヨークのモントーク、メキシコと海に近い場所を生活の中心としており、また、聖地ハワイノースショアへの巡礼も欠かすことはない程、サーファーとしての生き方を全うしているのだ。

BLIND GIRL SURF CLUB|ブラインド・ガール・サーフ・クラブ
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そもそもブラインド・ガール・サーフ・クラブはハービーとジュリアンの二人が長年に渡り続けている二人でのサーフトリップにて考えられた非常にプライベートなアイディアであったが、数年の時を経ながら、その名前とシンボルマークは近い友人や仲間達に知られるようになる。更には彼らを尊敬する他のサーファー達にも次第に知られるようになっていき、そのメンバーとなった者は真っ黒に塗られ、シンボルマークでもあるジュリアンのアートが施されたサーフボードを手にすることができた。

そして、最後にこのボードを手渡されたメンバーは故アンディ・アイアンズである。 
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9月より発売。BLIND GIRL SURF CLUB by RVCA
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RVCAでは今回この非常に限られたメンバーのみで仕切られていた、ブラインド・ガール・サーフ・クラブをコレクションとして限定で発売することになった。

波に乗る行為というアート、サーフカルチャーを取り巻くアート、人生やライフスタイル、そして究極の自由への傾向をアートとして具現化したこのコレクションは、Tシャツ、キャップ、ボードショーツ、パーカーなどといった様々なアイテム展開となり9月上旬に発売予定である。 

衝動買い必至のアイテム群たちだ。